文明が衰亡するとき
[高坂正堯(こうさかまさたか)]
高坂氏は、民主党の前原議員の師であり、ほか民主党議員もこの書を読んでいるようで、時折テレビで「ローマは税金の問題で倒れた」と発言する議員がいるが、それの種本である。
しかしこの本の本当に面白いのは、そういうところではなくて、地中海の小国ヴェネツィアが、いかに周りを武力に訴える強国に囲まれながらも高度な政治力と技術力を駆使して繁栄を謳歌したか、そしてあるときは危機を克服し、あるときはそれに失敗し、そしてついには交易国としての優位性を失い、周辺に飲み込まれていったか、というところである。
まさに今のアメリカと中国、そしてEU、ロシアに挟まれもがいている日本の姿と重なるのである。
ヴェネツィアは基本的にガレー船という高度に精密に規格化され、量産することができる手漕ぎの船による交易で栄えた。
交易で栄えているときも、人々はあまり土地に投資したりせず、地中海を股にかけて、大国間を巧みに政治的に渡り歩き、行きに商品を積んでそれを売り、帰りにはまた新しい商品を積んでそれを売り、成功していた。
しかし、高度に規格化したガレー船による成功を、新しい帆船が出てきた際に切り替えることができず、またヴェネツィアで生産していた高級羊毛がイギリス、オランダに取って代わられようとするとき、成功経験にしがみついて、中々意識を変えることができなかった。
以前のビザンチン帝国とは政治的交渉が成り立ったが、その後のオスマントルコは武力に訴えて出てくることが多く、あえて海に出て危険を冒すよりも、土地や農業に投資し、安全で華美な生活を送ることを市民は好むようになった。
市民が乗り手だったガレー船も志願者がいなくなり奴隷が漕ぐことになった。
交易で培った自由な精神はパドヴァ大学や美術の世界で花開いたが、次第に内向きになり、イタリアにスペインが政治的影響力を及ぼすようになると、自由な風が停滞した。当時パドヴァ大学に勤めていたガリレオ・ガリレイも大学を去ることになった。
若者の中には何とかしなければいけない、という機運も高まったが、行動を起こすことなく世界の変化に埋もれていってしまった。
ではどうすればよかったのか、というところは難しい。何せこの書は衰亡した文明について話しているのであって、そこからどう立ち直ったかが主眼ではないからである。
しかし、今日本に起きていることとヴェネツィアに起きたことの重なりを考えれば、自ずと、何をすべきかは読者一人ひとりの心に思い浮かびあがるはずである。
若者が、市民が本当は何をすべきだったかは十分に示唆されている。
日本のまさに今の苦境を写し出す一冊。
[文責]菅井英明

